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もう一つのお月見「十三夜」に用意する食べ物について

作成日:2020年10月8日

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もう一つのお月見「十三夜」に用意する食べ物について

お月見と言えば十五夜を思い浮かべる方も多いと思いますが、日本にはもう一つ名月を楽しむ機会があるのをご存じですか?十三夜は、日本で古くから行われてきた独自のお月見の風習の一つ。「後(のち)の名月」「後の月見」とも呼ばれ、十五夜の後に現れ、十五夜と並ぶ美しさをもつ名月として親しまれてきました。この記事では、十三夜の由来やお供え物とされる食べ物などについてご紹介します。

十三夜の時期について

十三夜は、元来旧暦9月13日の夜に親しまれてきました。新暦になってからは旧暦を当てはめるため毎年日にちが異なり、2020年は10月29日に訪れることになっています。

旧暦は現在の暦に比べて日数が少なく作られており、数年に一度閏月を入れて調整する仕組みになっているのですが、その閏月を9月の後に入れることがあります。これにより9月13日の次は10月13日ではなく、閏9月13日となり、十三夜が1年に2回現れる事態が起こることも。最近では2014年に2回目が訪れましたが、実はその前に訪れたのは約171年前の1854年のことで、なかなか出会えない珍しい出来事になっています。

十三夜と十五夜の違い

十三夜と十五夜はどちらも月見を楽しむ行事ですが、実はさまざまな違いがあります。ここからは、私たちにとってより身近な十五夜と比べながら、十三夜の特徴について見ていきましょう。

十三夜十五夜
由来由来にはいくつかある。一説には、平安時代に宇多天皇が9月13日の月を見て心を動かされ、この日を日本の名月にしようと言ったことから。また次の天皇である醍醐天皇が催した、月見の宴から始まったとも考えられている。名月の日に月を鑑賞する中国の風習「中秋節」が由来とされる。中国では唐代のころから月を鑑賞する風習があり、これが遣唐使を通して、平安時代の貴族社会に入り、十五夜として楽しまれるようになったと考えられている。
期間旧暦9月13日。秋の真ん中を示す「中秋」の、旧暦8月15日。「中秋の名月」と呼ばれるのはこのことから。
見られる月の形や見える様子新月から13日分満ちた月。爪の先ほどが欠けた、ふっくらとした形をしている。完璧な美しさをもつ十五夜に対し、何か足りないこと、未完成さが美しいとされた。晴れる日が多かったと考えられており、「十三夜に曇り無し」という言葉も伝わっている。月の満ち欠けに合わせた旧暦で、月の半ばにあたる15日に行われるため、多少欠けていることもあるものの、満月が見られる。台風の時期と重なることもあり、古くから見えない日が多いと考えられていた。雲がかかり月が見えない様子を「無月」、雨が降って見られないことを「雨月」とも呼び楽しんでいた。
お供え物ススキ、月見団子、里芋、栗、大豆、茹でた枝豆、季節の収穫物や草花など。ススキ、月見団子、里芋、さつまいも、季節の収穫物や草花など。
別名後の月、名残の月、栗名月、豆名月、女名月、姥月、小麦月見、小麦名月など。芋名月、中秋の名月、中秋節、三五夜、三五の夕べ、望月、名月など。

十三夜も十五夜ももともと宗教的な意味はなく、平安時代には宴を開き、月を鑑賞する貴族の文化でした。しかし江戸時代になってから豊作を祈願・感謝する風習と結びつき、収穫したものを供える日として庶民にも親しまれるようになっていきます。ススキに月見団子といった現在のイメージも、このころ始まったお供え物からきているようです。

また、このころに広まった考え方の一つに、「片月見」「片見月」というものがあります。もともと、十五夜に月見をした後には十三夜にもお月見をするものと考えられており、二つの名月をセットにして「二夜の月」とも呼んでいました。

江戸時代、吉原の遊郭でこの考えが盛んになり、見るだけではなく同じ場所で見ることも縁起がいいとされるように。当時は客寄せの一環でもあったようですが、十五夜に来たら縁起を担いで十三夜も来なければならない、「片月見」「片見月」になって良くない、と言われたため、逆にこの日には出向くのを控えるお客さんもいたようです。「片月見」「片見月」に限らず、「片方だけのお月見は良くない」という考え方は地方にもあったようなので、せっかくなら十五夜も十三夜も楽しみたいものですね。

十三夜に用意するものや食べ物

月の満ち欠けに合わせた旧暦は、日本の人々の暮らしが月に深く結びついていたことを示すもの。特に農業を営む人々にとっては、いつ種を植え、いつ収穫するかは死活問題です。暦に合わせて作物を育てる中で、豊作を祈ったり、収穫後の感謝の気持ちを示したりするために、いつしかお月見の際にはお供え物をするようになりました。

ススキ

穂の出たススキが稲穂のように見えることから、神様が依りつくと考えられていた稲穂に似た植物を使ったとも、収穫に感謝して穗刈前には使えない稲穂の代わりに供えられるようになったとも考えられています。また、もともとススキを切るとその切り口が鋭かったことから、魔除けになるとされていました。一部の地域では、お月見をした後ススキを軒先に飾り、災いを払うという風習も残されています。

月見団子

なぜお団子が供えられるようになったのかには諸説あり、丸い形が月のように見えるからとも、この時期に収穫できる里芋を模しているからとも考えられています。お供えする数は、よく言われているのが十三夜にちなんだ13個。白い紙を敷いた三方の上に、山のように積み重ねて、月が見えるところに供えます。

お月見の際、収穫されたばかりの農作物も、伝統的にお供え物とされてきました。十三夜周辺は栗が実る季節であり、特に茨城県では栗をお供えする風習があったようで、十三夜を「栗名月」と呼んでいたそうです。お供えした後は、どうやって食べるかは自由。栗ご飯として食事のメインにしても、渋皮煮や焼き栗、焼き菓子に混ぜ込んでデザートにしても美味しくいただけます。

大豆や枝豆もまた、十三夜によく供えられるものの一つ。お供えした後は茹でて食べられる地域が多かったようです。伝統に従って茹で豆にしてもよし、栗と一緒に炊き込みご飯にしてもよし。ご家庭ごとの料理で楽しみましょう。

十三夜の地域特有の呼ばれ方

日本で古くから親しまれてきた十三夜は、次第に庶民の風習として全国各地にも広まっていきました。そのため風習を示す名前が、地域それぞれ違った形で残されています。ここでは地域ごとの別名や、関連する風習をご紹介します。

女名月

福岡県糟屋郡の沿岸部周辺では、十三夜を女名月と呼んでいました。この日に催されるお祭りが女性を中心に行われ、女性が偉そうにふるまってもよい日とされていたことから、この名前で呼ばれるようになったようです。

姥月

徳島県では十三夜を姥月と呼び、新穀や芋、大豆などを供える習慣がありました。十五夜が先に来ることから、その後に訪れる十三夜を年老いた女性に見立てたのではないかと考えられています。

小麦月見・小麦名月

茨城県などの関東地方では、十三夜を小麦月見といい、曇らずに月が見られれば翌年の麦がうまくいくと考えられていました。十五夜を大麦の月見、十三夜を小麦の月見と考えるところもあったようです。また長野県安曇郡周辺でも、十三夜の天気によって、小麦をはじめとする農作物の出来不出来を占っており、このことから小麦名月と呼んでいました。

※参考
民俗学事典編集委員会『民俗学辞典』丸善出版
福田アジオ、湯川洋司ほか『日本民俗大辞典』吉川弘文館
民俗学研究所『綜合日本民俗語彙』平凡社

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平安時代には、十三夜にお供え物をしたり月を拝んだりすることはなく、お酒を飲み交わしながら月を見上げて、詩歌を詠み、管弦を奏でるだけの風流な行事でした。現代では十三夜に月見を楽しむ風習はメジャーではなくなってしまいましたが、食事に栗や豆を取り入れたり、帰り道に少しの間月を見上げたりするだけでも簡単に楽しむことができるので、日本古来の風習をできるだけ受け継いでいきたいものですね。

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この記事の作成者:H.W(ライター)
この記事の提供元:シルバーライフ

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